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100年の歴史を持つ「ケロリン」。
誕生から現在に至るまで、時代の変化とともに
その姿を進化させながら、多くの人々に親しまれ続けています。
このページでは、ケロリンの誕生から成長、そして未来への歩みを
「ケロリン百年物語」としてご紹介します。

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ケロリンは、江戸時代から続く富山の薬売りの伝統を受け継いでいます。
反魂丹は富山の薬売りの原点となった薬で、その名は遠くまで知れ渡り、
「富山のくすり」が信頼を得ていきました。
この伝説が、のちにケロリンへ繋がる道を切り開きました。
明治時代、内外薬品株式会社が誕生しました。
当初は薬品原料の卸問屋でしたが、のちに製薬にも挑戦し、
ここからケロリンの歴史が始まります。
富山の薬売りがケロリンを全国の薬箱に置き、
次第にその効果と信頼を得ていきます。
ついには、ケロリンは鎮痛薬を代表する薬になりました。
昔も今も変わらないパッケージは、モダンで温かみのあるデザインで、
多くの人々に愛されるようになります。
世界的な野球選手、ベーブ・ルースとも縁があったケロリン。
ベーブ・ルースが来日して行われた日米親善試合では、
野球場にケロリンの大垂れ幕が掛けられました。
ほかにもボクシングの試合会場でも宣伝活動を行うなど、
スポーツと薬の意外な結びつきが生まれました。
戦時中、多くの企業が合同を余儀なくされ、
重要医薬品に認可されたケロリンも合同会社で製造されました。
戦後は、勝手にケロリンの商標を使用して製造販売する事例が
続出しましたが、関係者の努力によって「ケロリン」の商標は守られました。
戦後の復興とともに、ケロリンも大きく飛躍していきます。
戦後、日本人のライフスタイルの変化に伴い、
薬も消費者が薬局で選ぶ時代に変わってきました。
ケロリンはこれまでの配置薬だけでなく、薬局・薬店で直接販売する
「OTC(一般用医薬品)」にも進出し、全国の店舗に広がっていきます。
そして、昭和38年にはケロリンの宣伝を目的に「ケロリン桶」が誕生。
鮮やかな黄色の桶は、銭湯文化とともに人々の記憶に刻まれ、 今やケロリン桶は昭和レトロの象徴となりました。
平成の時代、ケロリンは伝統を守りながらも、新たな挑戦を続けました。
製品ラインナップの拡充、パッケージデザインの改良、
そして時代に合わせた広告戦略の進化。
一方で、これまで銭湯や温泉地のみで使われていた
ケロリン桶が、東急ハンズやロフト、富山のお土産屋さんでも
販売されるようになりました。
レトロブームの波に乗り、ケロリンが若い世代にも
広く知られる存在になりました。
2000年から内外薬品は、暮らしをサポートする
「くすり」の大切さを知っていただくために、「いのち」をテーマに
「21世紀ケロリン俳句大賞」をはじめました。
審査員として日本を代表する詩人の高橋睦郎氏を迎え、
全国から力作ぞろいの作品が集まりました。
内外薬品には「言葉の力」を大切にする文化が根付いています。
「ケロリン」のネーミングをはじめシンプルながらも
人々の記憶に残る商品名や広告が生み出され、
ケロリンブランドを育んできました。
ケロリン桶は、長年にわたり銭湯や温泉とともに歩んできました。
近年では、人気アニメやゲームのキャラクターと
多彩なコラボレーションが実現。
機能性だけでなく、ユニークなデザイン性でも注目され、
銭湯文化に欠かせないシンボルとして愛され続けています。
ケロリンを製造販売してきた内外薬品は、
新たな時代の流れを受け、業界再編の一環として設立された
「富山めぐみ製薬」に参加しました。
これは「富山のくすり」を次世代へと継承するための大きな決断でした。
三百年の伝統に新発想で価値を創造し、
これからも高品質な医薬品をつくり続けていきます。
ケロリンは皆さまに支えられ、
おかげさまで100周年の節目を迎えることができました。
日本には家庭薬のロングセラーが数多くありますが、
ケロリンは薬だけでなく、広告媒体としてはじまった
ケロリン桶も有名になりました。
ケロリンが次の100年を迎えられるかは、
私たちがケロリンの魅力的な価値を皆さまに提供できるかにかかています。
100年後もケロリンを愛していただけるように、
私たちは一歩ずつ邁進してまいります。
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